2019年1月28日月曜日
2019年1月23日水曜日
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2019年1月16日水曜日
2019年1月5日土曜日
2019年1月2日水曜日
漫画での死
最近結界師という漫画を読み直したんだけど、
そういえば少年誌で死を話しの中できちんと悲しい物として描いたものがあったっけな?とふと思った。
主人公がパワーアップして強敵を倒すための演出や脚色の一部ではなく、
仲間が死に、悲しみがありそれでも前へ進むような話。
大御所だとワンピースのエースの死はそうだったかなと思う。
もちろん私が知らないところで書いてる人はいるんだろう。
でもサンデー、マガジン、ジャンプという大手少年誌ではどうなんだろう?
田辺 イエロウ
小学館
売り上げランキング: 20,822
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なかなか少年誌でやるのは難しいだろう
でもなんだろう
今や死も娯楽とかしているんじゃないかとふと思ってしまった。
スマホ広告でよく見るデスゲーム系広告、
正直嫌い。
仲間の死によって主人公がパワーアップして強敵を倒す演出も好きだけれど、
その後?となると意外とキレイさっぱり爽やかに話は進んだりする。
違和感というほどではないが、演出上の死という感じはやっぱりある。
きっとエースが死んでルフィがパワーアップして海軍や黒髭ぶっ飛ばしてたらあそこまで国民で悲しむことはなかったでしょう?
ヒルルクが死んでチョッパーがパワーアップしてワポルを倒してたらなんか違ったでしょう。
死を、
悲しいものであり、絶望であり、
戻らないものであり、大切なものなんだと。
どうして人を殺してはいけないの?なんて、
冗談でも思えなくなるような。
これはハーレム物や俺ツエー系が流行りだした頃から思ったことなのだけれど、
現実感が、生活感がさっぱり感じられなくなってきている気がする。
親がいない、
家庭が語られない、
悪意がない、
悪も正義もどこか綺麗事で感情移入できない。
聲の形という漫画。
私が好きなのはあの登場人物たちの
どこにでも必ずいる、必ず誰の心にもある悪意からくる現実感。
誰が悪いという話ではなく、
だから主人公やヒロインの感情や行動に涙するし、
あの話が好きです。
少年誌という夢や希望を語る場で相応しくないのかもしれないけれど、
希望や夢や正義といった光の中にちょっとだけ現実感とか人の悪意という毒があるのが好き。
キラキラした話やハーレムモノや正義対悪の話が嫌いなんじゃない。
それだけでは、感動しないし、半年後には忘れているでしょう。
2019年1月1日火曜日
2018年12月31日月曜日
2018年12月30日日曜日
2018年12月29日土曜日
幸せの水準
僕たちは幸せになりすぎたのかもしれない
ここからは少し老害みたいな話になるけれど
私たちは満たされすぎて、少し、幸せがわからなくなってるんじゃないのか
苦労をしろ、不便であれということではないけれど(そう思っているけれど)
幸福も毎日幸福であればそれは普通になるように、
個を尊重し、意志を尊重し、自由を尊重する精神が悪い方向にいくとこうなっちゃうのかーって気がする
幸せのランクが一つ上がったというより
不幸のランクが一つ下がったような気分だ
高校生のとき、携帯電話を買ってもらえなくて
苦笑いで友達と話していたときの気持ちを思い出した
今は小学生からスマホだもんね
バイトを始め、やっと携帯電話を契約でき、PCを買えたとき、
周りは親が用意してくれて当たり前だった
携帯代は親が出してるのに「昨日電話1時間もはなしちゃったよやべーww」とか〇〇としか思わない
大学への入学祝いが入学金だったとき
周りは卒業旅行や新しい大学生活のために最新のPCやなんやかんやだった
ゲーム機も兄弟でやっと金を出した買ったPS2が1台家にあっただけ
最新機種や携帯ゲーム機持ってる人羨ましかったなぁ
自分の部屋?社会人で一人暮らしするまでもちろん無いよ
「部屋に入るときはノックしてよ!」とかちょっとよくわからないです
当時から考えても自分の生活基準が決して高い方でないことは把握していたし、
一人暮らししてからはそこそこの生活をしていると思ってる
だから皆も苦労しろというつもりはないし(気持ち的にはあるけどね)
自分がしてきた苦労や劣等感を、今ではまぁ精神性の成長にはなったよねと肯定的に思えてる
今より下を知っているから、私は頑張れるし上に希望を持っている
でも今の若い子はどうなんだろう?
気がついたらスマホを持ち、パソコンは家にあり、ゲームもオンライン環境も整備されていて、
なんなら趣味に必要なものも買い与えられている人がほとんどでしょう
お小遣いも今の相場とかだと月5000円とか?
中学生でスマホ持ってないなんて言ったら、それこそ当時高校生の私みたいな感じになりそうだし
いじめの対象になりそうだよね
でも話してみると、
親がうるさい、彼氏彼女と仲が悪い、通信制限うぜぇ、私を認めてくれない!と
選択肢を奪う行動や意見を嫌い、自分に都合のいい事以外は除外し、私を楽しませてくれる人が好きと、
今どき金魚だってそこまで水面でパクパク餌を待ったりしないよという気分だ
これらは一面的で、強調されているけど、
消去法の選択肢の中から、自分にしょうがないしょうがないと言いながら選択してきた私にとって
なんだかなーという気がするし、
苦労しろと思わずにはいられない
生活水準は一度上げると下げることは難しい
今得られているものは彼らからしたら当たり前の権利であり、無くなることは許されないだろう
今後も幸せの基準は上がっていって、不幸の基準はどんどん低くなる
そうなったとき
失って初めて気づくにはもう戻れないところに行ってしまう前に、
大人の私は次の世代のためにどう教えるべきか考えなくてはいけないよね
苦労させる以外に
「いじめた罰だ、学校まで歩きなさい――父親のしつけビデオで議論」
記事で気になったのはコメントにあるBBC読者のコメント
そしてこのニュースだ
記事で気になったのはコメントにあるBBC読者のコメント
「この行動を取った父親を尊敬する。この人が問題にしているのは、いじめだけではない。最近の子供は確かに、自分は特別扱いされて当たり前と思っている」(クラウディア・グロットキャンプさん)
そしてこのニュースだ
ここからは少し老害みたいな話になるけれど
私たちは満たされすぎて、少し、幸せがわからなくなってるんじゃないのか
苦労をしろ、不便であれということではないけれど(そう思っているけれど)
幸福も毎日幸福であればそれは普通になるように、
個を尊重し、意志を尊重し、自由を尊重する精神が悪い方向にいくとこうなっちゃうのかーって気がする
幸せのランクが一つ上がったというより
不幸のランクが一つ下がったような気分だ
高校生のとき、携帯電話を買ってもらえなくて
苦笑いで友達と話していたときの気持ちを思い出した
今は小学生からスマホだもんね
バイトを始め、やっと携帯電話を契約でき、PCを買えたとき、
周りは親が用意してくれて当たり前だった
携帯代は親が出してるのに「昨日電話1時間もはなしちゃったよやべーww」とか〇〇としか思わない
大学への入学祝いが入学金だったとき
周りは卒業旅行や新しい大学生活のために最新のPCやなんやかんやだった
ゲーム機も兄弟でやっと金を出した買ったPS2が1台家にあっただけ
最新機種や携帯ゲーム機持ってる人羨ましかったなぁ
自分の部屋?社会人で一人暮らしするまでもちろん無いよ
「部屋に入るときはノックしてよ!」とかちょっとよくわからないです
当時から考えても自分の生活基準が決して高い方でないことは把握していたし、
一人暮らししてからはそこそこの生活をしていると思ってる
だから皆も苦労しろというつもりはないし(気持ち的にはあるけどね)
自分がしてきた苦労や劣等感を、今ではまぁ精神性の成長にはなったよねと肯定的に思えてる
今より下を知っているから、私は頑張れるし上に希望を持っている
でも今の若い子はどうなんだろう?
気がついたらスマホを持ち、パソコンは家にあり、ゲームもオンライン環境も整備されていて、
なんなら趣味に必要なものも買い与えられている人がほとんどでしょう
お小遣いも今の相場とかだと月5000円とか?
中学生でスマホ持ってないなんて言ったら、それこそ当時高校生の私みたいな感じになりそうだし
いじめの対象になりそうだよね
でも話してみると、
親がうるさい、彼氏彼女と仲が悪い、通信制限うぜぇ、私を認めてくれない!と
選択肢を奪う行動や意見を嫌い、自分に都合のいい事以外は除外し、私を楽しませてくれる人が好きと、
今どき金魚だってそこまで水面でパクパク餌を待ったりしないよという気分だ
これらは一面的で、強調されているけど、
消去法の選択肢の中から、自分にしょうがないしょうがないと言いながら選択してきた私にとって
なんだかなーという気がするし、
苦労しろと思わずにはいられない
生活水準は一度上げると下げることは難しい
今得られているものは彼らからしたら当たり前の権利であり、無くなることは許されないだろう
今後も幸せの基準は上がっていって、不幸の基準はどんどん低くなる
そうなったとき
失って初めて気づくにはもう戻れないところに行ってしまう前に、
大人の私は次の世代のためにどう教えるべきか考えなくてはいけないよね
苦労させる以外に











