2018年12月23日日曜日

映像の世紀「戦争 科学者たちの罪と勇気」をみて


便利とは、幸せとは何だったろうか
包丁は調理を楽にし、人を殺す
木の棒は体を支え、人を殺す
情報は文化や文明を作り、人を騙し奪う

いつだって扱う私達が間違うばかり




ノーベル
この世の中で悪用されないものはない。科学技術の進歩はつねに危険と背中合わせだ。それを乗り越えてはじめて人類の未来に貢献できるのだ。私は平和的発案の促進の為、私の死後、大きな基金を残すつもりだ。ただ、私はその結果については懐疑的だ。遺産を相続させることはできるが、幸福は相続できない。

果たして乗り越えてこれたのだろうか
今の平和は何億人の死体の上にあり
私は死体の上で毎朝を迎えているに過ぎないんじゃないか

ラッセルアインシュタイン宣言
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

戦争を体験したこともなく
もはや見聞すること自体が減っている世代だが

愛国心という言葉が嫌いだ
正義の旗を振った行動が嫌いだ

ユダヤ人のハーバーが開発した毒ガスは
多くのユダヤ人を死なせることとたった

知識や技術に善悪はなく
何時だって使う側が間違える
まるでこの世に神がいて調子に乗った人類に罪の精算を行っているようだと感じた

湯川真理を探求するということは結局は人類の為のものであり、社会に対して責任がある。その責任から逃れることはできない

いま、知識は技術は目に見えるものではなくなった
罪の意識はより薄まり 、判断や意志が介在するスキはどんどん減っていっている

便利なのが当たり前で
それを奪うものは悪だと罵る、得られない者は不平等だと責め立てる

もう一度考えよう
意志をもちそれに責任を持てるのか
持てなくてもその責任から逃れる事は出来ないのだから

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